2011.01.10 Monday

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    2011.01.09 Sunday

    子育て・・虐待・・きっかけは、おねしょ。

    0
       

      2歳の妹の真実は、初めておねしょをした。


      そして8歳のわたしはその”おねしょ”というものに
      この時産まれて初めて対面した。


      そしてそこには何度も真実のお尻をたたくお母さんがいた。



      その日真実は何度起こしても、
      いつもならお兄ちゃんのわたしが揺さぶり、
      くすぐれば起きるはずの真実は起きなかった。


      そのときわたしはおかしいなと思っていた。


      そしてそう思っているのもつかの間・・・、
      お母さんに無理やり抱きかかえられて起こされた。


      そして真実はお母さんに、今わたしの目の前で怒られている。


      そのときわたしはあることに気付いた。

      妹が起きなかった理由はこれだと。


      お母さんに怒られるのが怖くて、
      その恐怖心から、真実はわざとぐずって起きなかったのである。

      わたしはそのことに気付いた。


      なぜなら真実は、わたしが何度起こしても起きなかったのに、
      お母さんが来てほんのわずかな時間ですくっと起きたからだ。


      真実はまだ2歳。


      考えてみればおねしょなんて当たり前の歳である。


      しかし、わたしが初めて見たって言うくらいなので
      うちの家族で初めてのおねしょである。

      そう・・・逆に言うと、
      わたしは小さい頃におねしょの一つしない位、良い子?だったらしい。

      だからなのかお母さんは怒り続けた。


      真実の泣いている声が
      まだ2歳の真実の声が枯れていく位まで、

      お母さんはお尻をたたき続けた。


      しかしわたしは、まだおねしょという初めての対面に動揺するあまり、
      ただその横で棒立ちして見ているしかなかった。


      まだ2歳の妹の真実、


      お母さんに怒られ続けた理由は、
      産まれてたった一回目の”おねしょ”だった。
      2011.01.09 Sunday

      子育て・・虐待・・きっかけは、おねしょ。

      0
         
        まだ妹は2歳の春、
        桜が散り始めた頃である


        わたしの、
        大好きで、大切で仕方がない、妹の真実は、今日も冷酷な虐待を受けていた。

        今日のきっかけは、”妹のおねしょ”だった。



        ・・・今日も一日の始まり。

        わたしはいつもの様に、一緒に横で寝ている妹を起こした。

        わたしの妹はわたしにそっくりで、非常に寝起きが悪い。
        だから今日もそうだった。

        ゆっくり揺さぶり妹に「起きて!」、「真実!」
        そう何度も伝える。

        しかし妹は、かわいらしい笑みを浮かべながら、
        鼻水をカピカピに固めながら、爆睡している。


        そしてわたしはいつもの様にからだをくすぐりながら、
        また揺さぶり無理やり身体をおこして起こそうとする。

        すると妹はいつもの様に最初はすこし笑いながらも、
        すこしづつ機嫌が悪そうな顔になりながら起きる。


        ・・・いつもはこんな感じ起きていた。

        しかし今日はそれでも起きなかった。


        そして朝ごはんの時間がとっくに過ぎている8時過ぎ、
        お母さんが台所からわたしたちの布団の部屋に入ってきて

        「早く起きなさーい。」

        そう優しく言う。


        でもそれでも起きない妹を見てお母さんは、
        布団から抱きかかえて妹を布団から出した。


        するとその時、妹に異変がおきていた。

        おねしょでビシャビシャになっていたのである。


        実はわたしはその妹のおねしょを、
        いや、おねしょというものを初めてその時知った。


        するとそれに気付いたお母さんは、
        その妹のおねしょを見て豹変した。


        その抱きかかえた、まだ2歳の真実を布団の上に放ったのである。

        そしてそれだけなくその真実のお尻を何度もたたく。


        「なんでこんなに近くにトイレがあるのにあんたはトイレに行かないの!」


        そう大きな声でいいながら何度も真実のお尻をたたく。



        しかし横にいるわたしは、
        そのおねしょに対しての初めての対面ということもあり
        その怒られている妹をかばいたくてもかばえない位に動揺していた。


        そしてわたしはその時ふと思った、

        妹はこう怒られるのがわかっていて、
        すぐに起きなかったのでは、と。


        続く。
        2011.01.08 Saturday

        子育て・・虐待・・きっかけは、よだれかけのジャム。

        0
           まだ妹は2歳の春である。


          わたしの、
          大好きで、大切で仕方がない、妹の真実は、今日も冷酷な虐待を受けていた。


          妹の真実は、まだ育児用のご飯を食べている。

          2歳の真実はとうぜん、よだれかけをオレンジのマーマレードジャムで汚しながら、
          でも頑張ってじぶんで食べようとする。
          しかし、口に入れるときに何度もこぼしていて、上手に食べれていないため、
          長男のわたしは、食べ方を教えてあげながらも、丁寧に口の中にいれてあげる。

          だけど真実はそれでも自分で食べようとする。


          なのでその姿をみて、そんな頑張って自分でやりたいっていう真実をみて
          横で一緒にご飯を食べながら応援する。


          しかしそんな時お母さんの大きな声がわたしの家全体を震えさせた。


          「あんた、よだれかかけを汚すんじゃない!!!」


          お母さんは信じられないぐらいの形相で真実を睨み、
          そのオレンジマーマレードジャムを取り返し、

          「あんたに食べさせるご飯なんてない!!!」

          そういって妹の顔をたたいた。


          わたしは何が起こったのかわからない・・・
          そんな風に思いながらもただその時は真実を慰めることしか出来なかった。


          しかし慰めたとしても真実はただ泣くだけで、
          わたしもそれをただ頭をなでてあげるくらいしか出来なかった。


          そしてそんな泣き声すらも気に食わないお母さんはまた一言こういった。

          「あーうるさいわね! そんなんで泣くんだったら外で泣いてなさい!」


          そう言われ、真実は外のベランダに連れて行かれた。

          たださすがにわたしも、このお母さんには怖いけど反抗する位になれた。


          「お母さん・・・、今日は真実を許してあげて!
            真実がちゃんと食べれなかったのはお兄ちゃん(自分)が
             ちゃんと教えてあげなかったからだよ!
              だから今日は真実を許してあげて!  お願いお母さん!!!」

          そう大声でお母さんに伝えて、お母さんの目は覚めた。



          そしてベランダの真実を家に連れ戻すと、冷たくなった真実の顔を触りながら、

          「お母さんが悪かったの・・。
            いつもいきなり起こってしまってごめんね。
             でも真実のことをお母さんは本当にかわいいと思って言ってるんだからね・・。」

          そういいながら、お母さんは真実を抱きしめた。


          その時お母さんの目からは、静かに涙がこぼれていた。



          ”よだれかけのジャム”・・・きっかけはただそれだけだった。






          2011.01.07 Friday

          うつ病のきっかけ

          0
             うつ病のきっかけは妹の真実とわたしの違いだった。



            わたしは昭和55年10月、

            約3000gのとっても元気な男の子だった。


            産まれてすぐにお母さんのおっぱいをもらい、
            1歳になったらすぐ簡単な言葉を覚えながらお母さんのいうことを聞くようになり、
            2歳になったらもうわがままも言わないおとなしく、でも元気な男になっていた。

            そして3歳で少しづつお母さんと一緒に掃除とかを手伝うようになり、
            4歳になると届かない台所に踏み台を置いてお皿洗いをするほどになっていた。

            いつもお母さんのいうことはしっかり聞き
            いつもお父さんのいうことに元気に「はい!」という返事しかしなかった。


            とにかくそんな、近所や幼稚園の友達のお母さんに自慢したくなるような
            素直で優しい元気な男の子だったらしい。


            そしてその時のわたしにとっては、
            そしてお母さんにとっては、

            そんなの当たり前も当たり前の親子の関係だった。



            しかし実はそれは当たり前ではなかった。

            そのことに気付いたのはわたしの妹、


            そう・・・”真実”が産まれてからわかったことだった。



            わたしの妹の真実は普通の女の子だった。

            昭和61年4月、
            約3500g、少し大きな身体は、少し肥満気味と言われながらも
            元気いっぱいに産まれた。


            そして普通の女の子だった真実は

            普通の女の子のように、よく泣くし、
            普通の女の子のように、よくはしゃぐ、

            わたしが片付けたおもちゃはばらばらにするし
            わたしがたたんだ布団もばらばらにする、

            ほんと普通の女の子だった。


            でもその時のわたしにとって、

            そんな妹が当たり前で
            そんな妹が可愛くて、
            そんな妹がまるで自分の娘のように大好きだった。


            しかしわたしのお母さんにとってはそうは映らなかった。


            よく夜鳴きする、
            言うことは聞かない、
            おねしょはよくする、
            ご飯はきたなく食べる、
            おもちゃは何でも欲しがって泣く、

            とにかく普通の赤ちゃん、女の子なところが、
            お母さんにとっては苦痛にしか思えていなかった。


            だから正直わたしは複雑だった。

            その頃わたしが小さい頃にどうであったかはよくわからなかったけど、
            少なからずわたしの小さい頃とは少し違うかもしれない、

            そのくらいはわかった。

            そしてそれが理由でお母さんがいらいらしていること、
            変化していっていることもわかった。


            そうそんな”わたしとの違い”が、お母さんがうつ病になる大きなきっかけになっていた。



            2011.01.07 Friday

            ひと時の幸福

            0
              4歳のある日・・・

              まだ幼いわたしは妹が欲しかった。


              なぜだろう・・・

              ただ近所の幼ななじみが可愛い子犬を飼っていて羨ましかったからなのか?
              ただ映画で”蛍の墓”をみて感動したからなのか?

              わたしは何故だかわからないけど、ただただ妹が欲しかった。



              そしてきたる4月25日、
              わたしがまだ6歳の春。


              ついにわたしに妹ができた。


              名前は真実。

              まさに名前の通り、
              喜ばしい真実で真実。

              誰よりもかわいらしい、
              その頃まだ6歳の小さい自分のくせに、

              そんなわたしのくせに自分の子供のように思ってしまうほどの
              大切な大切な妹だった。



              ・・・ありがとう。


              本当に心底の思いで神様に感謝をささげたのをわたしは鮮明に覚えている。




              そして時は過ぎる。



              わたしは気づけば9歳、小学校3年生になっていて、
              妹の真実は3歳になっていた。


              そしてちょうどその頃・・・・


              少しづつわたしの家族全体に変化が起き始めていた。



              あんなに優しかったお母さんが、なんだか少しづつ怖くなってきたのである。



              なぜだろう?

              いままでは褒めてくれた80点の算数のテストでお母さんはわたしを怒る。


              なぜだろう?

              いままでは許してくれたほんのちょっとのお弁当の残りでおでこをぶたれる。


              なぜだろう?

              ただ寝坊して布団をたたまずに学校にいって、帰ってきたら足を強く蹴られる。




              そう、あんなに優しかったお母さんは変わってしまった。



              愛情表現は怒りとなり、

              怒りは暴力になり、

              暴力はただのストレス解消になっていた。


              そう、お母さんは育児ノイローゼになり、少しずつ幼児虐待に走っていったのである。




              なぜだろう?

              あんなに優しかったお母さんがこんなになってしまうなんて?・・・
              小さいわたしはその時はよくわからなかった。


              なんか嫌なことあったのかなあ?

              お父さんと喧嘩でもしたのかなあ?

              自分のこと嫌いになったのかなあ?



              毎日そんな風に思っていた。





              しかしある1日、

              わたしはお母さんがなぜそうなったのかがわかる現場を見てしまった。



              あの優しかった・・・

              でも強かったお母さんが、
              お父さんに泣きながら 「わたしを助けて!」

              そういひとこと言うのである。



              そう・・・お母さんはうつ病という心の病にかかってしまっていた。







              2011.01.06 Thursday

              6歳の春。

              0
                 6歳の春。


                わたしはもう年長生の、ひまわり組。

                もう身長も大きくなり、むかしお母さんが着せてくれていた
                女の子が着るようなかわいい洋服も今ではかっこ悪いからと着なくなり、

                気づけば立派な男の子になっていた。


                家での時間も少しずつ料理や洗濯を手伝ったり、
                時にはお父さんの仕事の作業服のアイロンすらかけていた。


                そしてそんないつもの月曜日の夜、ある大きな出来事が起きた。


                台所にいるお母さんが突然倒れる。

                自分は何が起こったのかわからず、ただパニックになり
                「お母さん大丈夫? お母さん大丈夫?」
                そう何度も呼びかける。

                するとお母さんが苦しそうに言う。

                「お父さんに電話して!
                  ついに赤ちゃんが産まれるって・・・。」

                わたしはこのときやっと事態がわかった。


                そう、妹が産まれるのである。


                僕はそれを聞いて、とにかくうれしい気持ちと、
                だけど苦しそうなお母さんへの思いと、
                何となく複雑な心境のままお父さんに電話をした。


                するとその電話の約10分後、

                家の前に救急車が止まり、
                お母さんが救急隊の人に運ばれ、
                その救急隊の人にひと言、

                「お兄ちゃんも行くよ!」

                そう言われる。


                そしてわたしは言われるがまま救急車に乗り、
                そっとなんだか初めての興奮状態でお母さんを見守る。


                そこから約15分、

                救急車は暗く光る病院の前に止まり、
                お母さんがまた救急隊に運ばれる。


                その後をわたしもついていき、暗い待合室でただ静かに座って待った。


                また少し経つと、すぐにお父さんが到着。
                すごい急いで来て、汗がだらだらのお父さんであったが、
                そんな中お父さんはわたしにひと言いう。

                「お母さんを守ってくれてありがとう
                  でも大丈夫、もう少しでお前の欲しがっていた妹が産まれるから!」

                それを言われたわたしは、さっきまでの激しい動揺から完全に解放され
                とてつもない喜びの感情が溢れ、滝のような涙がでてきた。


                そしてその後すぐに、少しずつ冷静になりはじめ、
                いろいろな楽しいことを考え始めた。

                ・・・一緒にトランプもしたい、
                ・・・一緒に鬼ごっこもしたい、
                ・・・一緒にお団子集めもしたい、

                ・・・家族4人でこたつを囲んでご飯を食べたい。


                そんなことを何時間も考えていた・・・。

                しかし気づけば午前1時。


                わたしはそんなことを考えながら、お父さんの膝の上で眠ってしまっていた。

                するとそんなわたしの耳に何か声が聞こえる。


                「おぎゃー! おぎゃー!」


                そう・・・4月25日 午前2時23分、



                ついにわたしの妹、真実が誕生した。









                2011.01.04 Tuesday

                5歳の秋の贈り物。

                0
                   わたしが5歳の秋・・・

                  それはいつもの毎日の、
                  それはいつもの食卓での会話だった。

                  お母さんからのひと言、

                  「ついにあなたにプレゼントがあるの。」

                  わたしはその時なんのことだかわからない中、
                  なんとも言えないわくわくした思いで、

                  「ぼくが欲しいおもちゃ知っているの?」

                  などと少し照れながらお母さんに聞く。



                  するとお母さんは言う。

                  「お父さんが帰って来てからあげるからそれまでゆっくり待ってて」

                  そう言われ、なんだか複雑な気持ちのなか
                  ゆっくりお父さんの帰りを待つことにする。

                  なんだろう?

                  別に誕生日は来月だし、別に何かで一等賞をとったわけでもない、
                  別に何か良いことをしてほめられるようなこともしていない。

                  だからこそ、この待っている時間がぼくには複雑すぎる時間でしかたがなかった。


                  そしてついに夜8時、お父さんが帰宅。

                  いつもの疲れた表情で、
                  いつもの汗臭い格好で、
                  何事もなかったように帰ってきた。

                  わたしは楽しみと、ほんの少しの不安?の様なものを胸に
                  お父さんに早く食卓のテーブルについてもらうように手を引っ張り連れ出した。
                  でも当然お父さんもなんだかわからない顔をし、少し怒った口調で

                  「ご飯の前だから手ぐらい洗わせなさい!」

                  と言いながらも食卓についてくれた。



                  そこでわたしは待ちに待ったという顔でお母さんを呼び、

                  「さっきの早く教えて!!!」

                  ・・そう言った。



                  するとお母さんの表情がゆっくりと笑顔に変わる、
                  さっきまでとはまるで違う今までに見たことのない子供の様な笑顔に変わり、
                  その笑顔の後すぐになんだか目に涙の様なものを溢れさせながら
                  ひとことこう言った。


                  「実は秀人に妹が出来たの!」


                  わたしとお父さん、いや全ての時間が止まる。



                  そしてそんなわたしとお父さんにもうひとこと言う。


                  「秀人が欲しがってた妹がお母さんのおなかの中に誕生したんだよ!!」



                  わたしはなんだか頭が真っ白になり、
                  父はふるえながら母親にこう声をかけた。


                  「ありがとう。」と。



                  そしてわたしはずっと頭を真っ白にしながらも、ただただ泣いてしまった。
                  そして興奮して、そして嬉しくて、涙が滝のように出てきた。



                  そうわたしについに”妹”ができたのである。





                  5歳の秋の贈り物・・・


                  それはわたしの家族を、わたしの食卓を
                  最高の愛で囲んでくれた、最高の贈り物だった。






                  2011.01.03 Monday

                  4歳のある日

                  0
                    4歳のある日、
                    わたしはやさしいお母さんに一つのお願いをした。

                    「妹が欲しい」

                    そのときの私はいったいなぜそれを思ったのかはまるで覚えていない。

                    ただ、このお願いを何度もしつこくお母さんにねだったことだけは覚えている。
                    しかしお母さんはわたしにこう言った。

                    「妹はおもちゃじゃないから欲しいって言ってもすぐには手に入らないんだよ。」

                    小さいわたしは深い意味はよくわかっていないが、
                    ただ諦めずにわがままに泣いたことも覚えている。

                    そしてそのあと、まだ幼すぎるわたしは、
                    何をとち狂ったのか近くの商店街のスーパーに行き、

                    「これで妹下さい。」

                    と100円玉を差しのべていた。



                    なぜわたしは妹が欲しいと思ったんだろう?
                    なぜわたしは妹が手に入らないといわれて泣いたんだろう?

                    正直いまのわたしもその理由はわからない。

                    別に友達にかわいい妹のいる家族や友達がいたわけでもない。
                    別にテレビや何かで妹が欲しくなるようなそんなものを見たわけでもない。

                    そしてまさか、このわたしの「妹が欲しい」というお母さんへの言葉が
                    それからのあらゆる悲劇を招く理由になることは知る由もなかった。



                    わたしは4歳、幼稚園に通う、容姿も可愛く、
                    子供とは思えないほどの素直な子供だったらしい。

                    そのせいか幼稚園の先生、近所のおじちゃんやおばちゃん、親戚、
                    それより何よりお母さんに、本当にやさしく育てられたことを鮮明に覚えている。

                    子供の自分なこともあるのか、とにかくその頃の記憶は
                    ただただあったかさを感じていたことだけは記憶の深く残っている。


                    お正月には親戚いっぱいで輪になって沢山のご馳走を頂き・・・、
                    こどもの日にはわたしは強いかぶとをかぶせてもらって・・・、
                    幼稚園の運動会ではお父さんが一生懸命かけっこで一番をとって、
                    わたしはお母さんの美味しい弁当を食べながらいっぱい笑っていた・・・。
                    10月の誕生日にはあたたかいコタツでおおきいケーキと
                    大好きだった調合金のおもちゃをもらった・・・。
                    そして寒い12月のクリスマスの頃にはお母さんとお父さんと、
                    駅の近くの食べ物屋さんで美味しいローストチキンを食べた・・・。

                    今思えば毎日が幸せいっぱいで
                    今思えば毎日が忘れられない記念日のようであった。


                    ただ小さいわたしはそんな毎日の幸せには気づけず、
                    ただ当たり前にすぎていく平凡な毎日だったのかもしれない。


                    そう、そんなある日にわたしは妹をスーパーに買いに行ったのだ。


                    なんでも欲しいものは手に入る・・・



                    そんな風に思っていた4歳のある日だった。










                    2011.01.01 Saturday

                    自殺 うつ病のりこえ日記

                    0
                       はじめまして。

                      私は30代男、東京出身、独身の秀人です。
                      このたび、こちらのブログを立ち上げさせていただきました理由、
                      及び自己紹介をご説明します。

                      正直自分は、自分で言うことではありませんが、
                      今までの人生、誰から見ても、”波乱万丈”と思われるような人生でした。

                      いや、自分ではそこまでと思っていませんでしたが、
                      他人から見たらどうやら”普通”ではなかったようです。


                      貧乏、虐待、母親の自殺、不良への道、そこからのうつ病・・・
                      毎日が自殺を考えてしまう波乱の連続でした。


                      ただ私はそんな日常を繰り返すなか、
                      高き苦しき壁を乗り越えていくなかで、

                      少しずつ人生を歩むことの”充実感”にも触れていけるようになりました。
                      ・・・そう、そしていまではその過去が”大きなばね”にすら感じる様にまでなったのです。


                      本題に戻ります。

                      私はこのブログで、
                      より多くの人に”生きる意味”を知っていただきたい。

                      私は、私の過去をこのブログで伝えることが、
                      少しでも同じ様な人生を歩まれている方に光を与えられる、
                      そう思ってこのブログを立ち上げようと思いました。



                      私は生まれた家庭が貧乏でした。
                      食べるものも、着るものも、住む家も、
                      全てにおいてその日を乗り越えるために必死な家庭に育ちました。

                      そんな中、少しでも稼ぎをと内職で貯めた貴重な貯金も親の借金で消え、
                      学校から家に帰ればうつ病の母親に息が出来なくなるまで殴られ、
                      夜になればまたいつもの夫婦喧嘩の始まり。

                      時には家族心中まで求められました。

                      そしてついに私が13歳のあるとき事件は起こったのです。


                      母親の自殺です。


                      私はこのときから現実逃避を考えるようになりました。
                      幼きころから虐待にあい続け、うらみ続けた肉親、
                      何度も”殺してやろう”と思ったときはありました。

                      ただ人の死は人を変えます。

                      どうせ死ぬなら俺もやりたいことをやって死のう、
                      私はこのときから自由に生きよう、


                      ”必死に生きよう”


                      そう思ったのです。

                      誰にも縛られないそんな道を歩みたくて、15歳の私は家を出ました。

                      ひとりで生きる為に仕事をし、
                      ひとりで人生を自由に生きる為に遊び、

                      毎日をただ無我夢中に走り続けました。

                      ただ、学もない、躾もない、お金もない・・・
                      そんな自分には、とうぜんそこからまた沢山の試練が自分の身に訪れました。

                      でも”必死に生きる”。

                      そう思って家を出た自分にとって、そんな試練は小さい壁でした。
                      私はそこから”最高の人生”を送りはじめたのです。



                      以上が簡単なこのブログを立ち上げる理由と、私の自己紹介です。


                      虐待・・うつ病・・自殺・・・
                      もしそんな困難にある方がいるのなら私は伝えたい。

                      必死に生きれば道は開ける、ということを。

                      それでは 『自殺、うつ病、波乱万丈のりこえ日記』
                      私の生まれた今までを、ゆっくりつづらせてもらいたいと思います。



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